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齋藤 友香 (さいとう ゆか)

~profile~

群馬県太田市出身。4歳よりピアノを始める。

白鴎大学足利高校音楽科を経て、東京音楽大学ピアノ科卒業。東京ミュージック&メディアアーツ尚美コンセルヴァトアールディプロマ科を首席で卒業。卒業後数年間はクラシックソロの活動も行い、研鑽を積んできた。

ライブ、コンサート演奏の他、ブライダルピアニストとしては5つ星ホテルを中心に演奏。

又、シャンソンピアニストとしても東京・群馬・山梨などとしても活動。

更に、2018年より、作曲活動も本格的に開始。シャンソン歌手への楽曲提供、オリジナル作品の作成も行い、今後の活躍が期待されている。

第9回群馬県ピアノコンクール高校の部優秀賞。大学内選抜コンサート出演。大学時ソルフェージュ試験最優秀者授業免除。第9回長江杯国際音楽コンクール一般Aの部第4位。第24回コンセールヴィヴィアンオーディション合格。

2019年にオリジナル曲を収録したミニアルバム「Starry Sky」「Dreamy Sky」2枚を発売。

2020.10.2、3枚目のアルバム「Iris」を発売。

2019年琉球朝日放送内番組にて楽曲が使用された。2020年TV東京開運!なんでも鑑定団にて楽曲が使用された。

​現在は東京都内にて、オリジナル楽曲制作と演奏活動をを中心としている。

~メッセージ~

多ジャンルの演奏経験や、コード譜の演奏&アレンジも得意としているため、生徒さんが考えたメロディーに伴奏をつけたり、一人でも簡単なコードでの演奏ができるように指導もできます。

弾けるようになるには、楽譜への苦手意識をなくすことが先決。タイトルが面白い曲や、やってみて楽しくなるようなドリルを活用し、「わからなかったことができるようになって楽しい!」との生徒の反応に、こちらも楽しくレッスンしています。

 

下記に、私が小さい頃どんなことをしていたか、そして講師になってからもどんな風にピアノと向き合っているか。。。日常のことも取り入れながら、簡単に書いてみました♪

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ピアノとの出会い

私がピアノに出会ったのは、4歳。私には3つ歳上の兄がいて、最初は兄が習っていました。私にはその頃、幼稚園に転入してきたとてもピアノの上手なお友達が出来て、その子の演奏を見よう見まねで覚えて帰って来て、母の前でぐちゃぐちゃな指使いで弾いて見せたそうです(笑)その時に、自分から「ピアノ習いたい!」と言ったのは、よく覚えています。その頃は、大手楽器店のピアノ教室へ通い始めました。教室内のコンクールのようなもので、最年少で名前を呼ばれ、幼稚園でもピアノばかり弾いている子供でした。母が「この子にはこれを」と思ったものを、きちんと習ったり続けたりさせようという教育方針だったので、大手楽器店の先生がすぐに変わるのが良くないと感じ、受験も視野に入れて教えてくれるようなところを探してくれました。そこへは、小学校2年から通いました。先生は、東京から教えに来ている人ばかりでした。

小学校~中学校

教室を移ってから、そこでの使用教材や、先生、周りの人達にとても良い刺激をもらったと思います。レベルの高い中に入り、上手な先輩の演奏を聴いたり、先生の教え方の違いを感じました。練習もたくさんしました。それでもまだ、小学校のうちは遊ぶ時間も少しはあり、お菓子作りにはまっていた時期もありました。小学6年の時に、群馬県ピアノコンクールを受け、毎日数時間の練習と、休みはお教室で缶詰になって練習し、誰もが予選を通過するだろうと言っていたのにも関わらず、バッハのフランス組曲サラバンドとクーラントの、クーラントが緊張でものすごい速さになってしまい、審査員の先生に「良かったのですが、テンポが速すぎて、最後まで審査に悩み。。。」と舞台上で言われ、惜しくも通過ならず。。。それがキッカケで、自信を無くし、中学の頃は、すっかりやる気が落ちてしまっていました。それでも、気持ちとは裏腹に指をただ動かしているような練習ばかりしていた記憶が。。。

高校時代

大学~今

普通高校の進学科も受け、受かっていたのですが、音楽科へ入学。これは私にとって大正解でした。クラスはとても仲良く、個性的。学科も、ピアノもエンジンがかかり、ようやく巻き返しが始まります。もっとしっかりやっておけば良かった。。。そう感じたこともしばしば。高校時代は、がむしゃらに頑張りました。友人と遊びに出かけたことは、3年間で5回もなかったと思います。学校帰りにマックへ行くのでさえ、遊びと感じたくらい(笑)それくらいピアノ一色の日々。それでも夏期講習で出会った鷲見教授に、東京音大ピアノ演奏家コースへの受験は、STOPをかけられ、必死に教授のレッスンを受け、練習し、なんと受験一ヶ月前の願書提出ギリギリの時に「あなた演奏家コース、受けてみなさい」と言われ、急いで曲を増やしました。一ヶ月しかないのに譜読みに暗譜。。もう必死でした。ですが、結果はピアノ科合格でした。同期の鷲見教授の門下生は、どういうわけか5名の演奏家コースがおり(一門下にこれだけ多いのは稀)、1学年上は一人もいないという。。。人生2度目の挫折。それでも何とか必死について行こうとしていました。そして、同門下の人達は、とても良い刺激をくれましたし、今現在も多方面で活躍しています。

大学時代は、新しい曲を一週間で暗譜までしてくるという過酷な課題がたくさん。それと同時に、たくさんの声楽伴奏もしました。それでも、自分よりすごい人はいて、自身の音楽のことについて悩みました。(みんなそうみたいです!)大学3年の時に、モーレツな胃痛に襲われ、胃カメラを飲んだほど。。その頃から、「もう、これでクラシックは諦めよう」という気持ちに。卒業後、講師として働いていたものの、どこか自分を見失っていた時代があります。とあることがキッカケで、もう一度勉強するつもりで演奏活動をきちんとしようと思い立ち、ジョイントコンサートを企画。その後、尚美ディプロマへ入学。仕事と練習の大忙しの2年間を過ごすことに。忙しさのあまり、TVを見る暇もなく、ご飯を食べる以外は仕事か練習という日々、卒業試験前は緊張からあっという間に5キロくらい痩せてしまいましたが、無事に首席で卒業できました。これが、私にとって大きな自信となりました。ですが、やっぱりまだまだ勉強することは、たくさんあり、クラシック音楽の偉大さを感じます。今は、シャンソンなどの分野にも幅を広げています。

ポップスや、jazz、タンゴなどにも、リズムどおりに演奏しても、その通りにはならないという部分があり、そういったものの奏法、和声学からの、コード譜伴奏の構築なども勉強を再度しております。

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